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	<title>大地の観察</title>
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		<title>奈良時代は奈良に都のあった</title>
		<link>http://nyawzf.yhjnbd.net/archives/9</link>
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		<pubDate>Tue, 19 Jan 2010 01:44:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Observation</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・地域・時代劇]]></category>

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		<description><![CDATA[710年（和銅3）から784年（延暦3）までの74年間をいう。
天皇を中心とする政府がここにあったので、地名をとって時代の名称とした。
奈良の都の公式の名称は平城京であるが、奈良（那羅、奈羅、乃楽、寧楽、楢などとも書く）とよばれる地にあったので、一般には奈良の都という。
奈良の都には、元明（げんめい）、元正（げんしょう）、聖武（しょうむ）、孝謙（こうけん）、淳仁（じゅんにん）、称徳（しょうとく）（孝謙の重祚（ちょうそ））、光仁（こうにん）、桓武（かんむ）の8代の天皇が在位したが、桓武天皇はその後都を長岡および平安京に移したので除外し、奈良朝7代70余年という。
8世紀の大部分がこの時代に相当する。
奈良遷都の9年前である文武（もんむ）天皇治世下の701年（大宝1）に大宝律令（たいほうりつりょう）が完成し、順次施行されて、律令制に基づく中央集権の国家体制がこれ以後整備・充実した。
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			<content:encoded><![CDATA[<p>710年（和銅3）から784年（延暦3）までの74年間をいう。</p>
<p>天皇を中心とする政府がここにあったので、地名をとって時代の名称とした。</p>
<p>奈良の都の公式の名称は平城京であるが、奈良（那羅、奈羅、乃楽、寧楽、楢などとも書く）とよばれる地にあったので、一般には奈良の都という。</p>
<p>奈良の都には、元明（げんめい）、元正（げんしょう）、聖武（しょうむ）、孝謙（こうけん）、淳仁（じゅんにん）、称徳（しょうとく）（孝謙の重祚（ちょうそ））、光仁（こうにん）、桓武（かんむ）の8代の天皇が在位したが、桓武天皇はその後都を長岡および平安京に移したので除外し、奈良朝7代70余年という。</p>
<p>8世紀の大部分がこの時代に相当する。</p>
<p>奈良遷都の9年前である文武（もんむ）天皇治世下の701年（大宝1）に大宝律令（たいほうりつりょう）が完成し、順次施行されて、律令制に基づく中央集権の国家体制がこれ以後整備・充実した。</p>
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		<title>国府は日本の奈良時代から平安時代に</title>
		<link>http://nyawzf.yhjnbd.net/archives/3</link>
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		<pubDate>Sun, 27 Dec 2009 14:16:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Observation</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・地域・時代劇]]></category>

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		<description><![CDATA[令制国の国司が政務を執る施設が置かれた場所や都市を指す。
律令制において、国司が政務を執った施設を国庁といい、国庁の周囲は塀などによって方形に区画されていた。
国、郡、城柵で政務の中心となる建物をまとめて政庁というので、国庁もしばしば政庁と呼ばれる。
国庁とその周りの役所群、都市域を総称して国衙（こくが）、国府という。
現在は役所群のほうを国衙、都市のほうを国府と分けて用いることもあるが、同時代的には置換可能な語であった。
歴史的には国府の方が先行し、8世紀にはもっぱら国府という言葉が用いられ、平安時代後期以降に国衙が一般的になった。
各国の差が小さいのは中心となる国庁で、方形の区画の中に中庭を囲んで正殿、東脇殿、西脇殿を冂字形に配置し、南に正門を持つ。
外形上もっとも整備された形では、南門から出る南北道と、これと交差する東西道が中心街路をなし、その他の官衙、国司館、その他施設が区画割りして配置される。
しかし多くの場合国庁をとりまく建物群の配置の規律は緩い。
国府の内と外を区分する外郭線は、国府が城柵に置かれたような例外を除き、ない。
国府に限らず、律令制時代の日本では役所の建物を曹司といい、これらがまとまった一区画を院と呼んだ。
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			<content:encoded><![CDATA[<p>令制国の国司が政務を執る施設が置かれた場所や都市を指す。</p>
<p>律令制において、国司が政務を執った施設を国庁といい、国庁の周囲は塀などによって方形に区画されていた。</p>
<p>国、郡、城柵で政務の中心となる建物をまとめて政庁というので、国庁もしばしば政庁と呼ばれる。</p>
<p>国庁とその周りの役所群、都市域を総称して国衙（こくが）、国府という。</p>
<p>現在は役所群のほうを国衙、都市のほうを国府と分けて用いることもあるが、同時代的には置換可能な語であった。</p>
<p>歴史的には国府の方が先行し、8世紀にはもっぱら国府という言葉が用いられ、平安時代後期以降に国衙が一般的になった。</p>
<p>各国の差が小さいのは中心となる国庁で、方形の区画の中に中庭を囲んで正殿、東脇殿、西脇殿を冂字形に配置し、南に正門を持つ。</p>
<p>外形上もっとも整備された形では、南門から出る南北道と、これと交差する東西道が中心街路をなし、その他の官衙、国司館、その他施設が区画割りして配置される。</p>
<p>しかし多くの場合国庁をとりまく建物群の配置の規律は緩い。</p>
<p>国府の内と外を区分する外郭線は、国府が城柵に置かれたような例外を除き、ない。</p>
<p>国府に限らず、律令制時代の日本では役所の建物を曹司といい、これらがまとまった一区画を院と呼んだ。</p>
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